大田原市の概況 | General Condition

平成17年10月には湯津上村、黒羽町と合併した『大田原市』は、鮎の漁獲量日本一の清流那珂川を挟んで、中・西部の那須野が原の平野部と東部の八溝山系の山間部に大別される。
中・西部の平野部は、大田原市の市街地を構成する都市機能の集積度が高い活力あふれるエリアで、栃木県北部の拠点地域である。



那須与一公

大田原市は、源平屋島の合戦の英雄で弓名手「那須与一」ゆかりの地であり、室町時代後期に那須家の家臣、大田原資清が大田原城を築城し、現在の市街地の基礎がつくられ、江戸時代には大田原氏の城下町として栄えた。また旧奥州街道の宿場町としても活気にあふれ、大いに賑わった。

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唐辛子

昭和40年頃の大田原は、全国でも有数の唐辛子産地でした。当時は大田原の主要な輸出農産物として大活躍しており、大田原の人々と『唐辛子』は深い係わり合いがあります。
しかし、社会環境や円高などの影響から唐辛子栽培は衰退し、現在では一部で若干の栽培をするに留まっていました。
現在、大田原では「とうがらしの郷づくり推進協議会』と『大田原市観光協会』を中心に、新たな観光資源を発掘しようと、「とうがらしの郷」の復活を目指し事業展開しております。

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