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 東西激辛戦争ついに勃発か!?
 緊張の国内情勢、首脳会談の行方は…
 

















   開催直前アカウントレポート / とうがらしフェスタ2013
     
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   【これホント】
大田原は「とうがらしの郷」なんです。。。 (1/5)
 
   
我が街・大田原は、歴史ある「とうがらしの郷」だ。
かつては、市内の至るところに唐辛子畑が広がっていて、
世界的にも類を見ないほどの一大産地であった。

軽く盛っているように聞こえるが、パットもシリコンも入ってなく、
これがモノホンの天然もの…、紛れもない事実だ。


≪戦後、日本がとにかく貧しくどん底だったころ…≫

私は、戦争を知らない子供たちの世代だが、戦時〜戦後の話は
年配者によく聞かされてきた。地元の人達に聞くと地域性が出るもので、
大田原には、戦後の窮地から抜け出そうと、「唐辛子」に活路を求めた…
そんなニッチな人々がいたようだ。

もがいた末に、大田原の地で生み出された優良品種「栃木三鷹」、
照りのある紅色はルビーのように輝き、香りは深く芳しく、
切れの良いシャープな辛みは特級グレードの認証を受けた。
彼らにとって、それは自慢の「赤い宝石」であった。

至極の一サヤ「赤い宝石・栃木三鷹」は絶好調に栽培が増えていく。
その勢いは国内だけに留まらず、海外のあちこちに輸出され、
世界中の辛党たちの舌を唸らせていたそうだ。


≪大田原昭和ノスタルジーにはチラチラっと唐辛子が顔を出す≫

敗戦国ゆえの現実に負けず、必死の思いで復興を果たしたその時代…

大田原の人々は畑で唐辛子を育て、唐辛子を売ったお金で子を育て、
家族を養い、生計を立てていた。

きっと、そこには数々のドラマがあったことだろう。
おぉるうぇいず、大田原の夕日…
大田原昭和ノスタルジー、そこには唐辛子のある風景があった。


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  updata:2013/09/13