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開催直前アカウントレポート / とうがらしフェスタ2013 | ||||
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【盛者必衰】 今は何故にあちこちに唐辛子畑がない? (2/5) |
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そんなこんなで、地元の産業どころか(ガチで)日本の産業すら
支えていた時期もある我が街のスーパーな救世主・唐辛子。 本来であれば、美空ひばりや石原裕次郎とならぶ昭和のスターとして
次の世代へ語り継ぎたいところだったのであるが… ぶっちゃけ、今の若年層はピンと来ないだろう。 街の若い衆においそれと
「大田原って、言わずと知れた『とうがらしの郷』だよねー。」
「大田原と言えば、どうにもこうにも、とうがらしだよねー。」 などと口にしてみても、
「えっ、そうだったの?」
「いや、与一くんの方がバリ有名でしょ。」 などという事になりかねない。どうしてこうなった?
≪昭和後期から栽培がグーンっと減ってしまった…≫
若者層がピンと来ないのは単純明快な理由だ。
為替相場の円高などの要因から、栽培が激減してしまったからだ。
そこそこの栽培規模があったのは昭和30〜50年の間くらいで、 実質、本当に一大産地であった期間は十年にも満たない。 つまり、ザ・ベストテンで毎週登場していても、カウントダウンTVの
ランキングに出てこなければ若者が知る由もない、ということだ。 「赤い宝石」が輝いた時間は、ほんの一瞬のことであった。
その時間を大田原で共有した60歳以上の世代の人たちにとっては、
地元ならではの懐かしい思い出の1ページとして刻まれており、 「ああ、そういえばあったなー」的な記憶の一つであるが… ≪世代によって異なる実感、大田原の唐辛子≫
前述の唐辛子の武勇伝は、若者からみれば、年配者がついつい
大きく誇張してうそぶいるように聞こえてしまうくらいのようだ。 大田原の唐辛子は・・・
いうことに気を付けなければならない。 このあたりの世代による認知度の違いも、我々協議会の抱える
大きな課題である。 |
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updata:2013/09/13 |