<天井まぶり>
「とうがらし」はかつて日本の主要な輸出用農産物として各地で盛んに栽培されていた。天に向かって勢い良くその実をつくる姿から「
天井守」と親しみを込めて呼ばれていた。(栃木では守がなまって「
天井まぶり」と呼ばれていた。)しかし、現在、北関東ではわずかに栃木、茨城の山里などにその名残りをとどめるだけである。
<とうがらし栽培>
日本で「とうがらしの栽培が本格化したのは昭和初期といわれている。というのも、うどんやそばの薬味にしか使われなかった「とうがらし」が家庭の食卓にカレーやウイスターソースなどがのぼるようになり、それらの原料として使われるようになったからである。北関東地方で栽培が始まったのは、昭和5,6年ごろ。「とうがらし」の生産は東京のカレーメーカーとの契約栽培がきっかけのようである。その後、「とうがらし」の栽培は第2次大戦中に中断されたが、戦後は外貨獲得のために通産省などの奨励で主要な輸出品目となった。しかし、どんどん円高が進んだことで、輸出が難しくなったことや手作業が中心で手間のかかる「とうがらし」栽培が敬遠されたことから、現在では消費量のほとんどを輸入している状況となっている。